合気道養神館 本部道場 公益財団法人合気道養神会

合気道養神館 創始者塩田剛三先生について

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塩田剛三の思想

対すれば相和す

合気道の最高の技とはなんでしょうか。
それは、相手に敵対心を放棄させ、
仲良くなってしまうことです。

合気道とは、己の内なる敵を制する道である。

塩田剛三の思想

対すれば、相和す

合気道の最高の技とはなんでしょうか。
それは、相手に敵対心を放棄させ、
仲良くなってしまうことです。

塩田剛三先生(1915年-1994年)は、身長154cm、体重45kgという小柄な体格ながら
「不世出の達人」と謳われた武道家です。

1954年には日本総合武道大会で最優秀賞を受賞。翌年、養神館合気道を創始されました。
また、漫画『グラップラー刃牙』に登場する「渋川剛気」のモデルとしても知られ、
その圧倒的な技と精神は、武道の枠を超え、後世にまで影響を与え続けています。

少年期誕生 - 1920年代

武道の礎

1915年9月9日東京生まれ。幼少期は虚弱体質でした。その後、剣道や柔道を習い始めるとすぐにその才能が開花。旧制東京府立第六中学校の5年生にして講道館柔道三段位を取得するまでになりました。

その才気あふれる姿が六中の阿部校長の目に留まり勧められたのが、合気道開祖・植芝盛平先生の道場。1932年5月23日、17歳の剛三少年はここで運命的な出会いを果たします。

青年期1930年代 - 1950年代

合気道との出会いと探求

植芝開祖のあまりにも鮮やかな技に八百長を疑った剛三少年。しかし、実際に技を受けると一瞬にして壁まで投げ飛ばされ驚嘆します。すぐさま道場に入門し、植芝開祖から合気道の極意を学び始めました。さらに金魚の動きを観察して体捌きを研究するなど、独自の研鑽を重ねます。

1941年以降は香港、台湾、ボルネオへと渡り、実戦的な経験を積む中でさらに武の精髄を極めていきました。帰国後には植芝開祖から九段を授与され、ついに合気道の指導者として己の道を切り拓き始めます。

養神館設立1955年

和の精神を、世界へ

1954年には日本総合武道大会で最優秀賞を受賞。その卓越した技と実績で武道界から格別の評価を受けました。翌年には財界の後押しを受け、合気道養神会を結成し、養神館道場を設立。

1962年にはロバート・ケネディーご夫妻が来館。
塩田先生が大柄なボディガードを瞬時に畳に這わせる姿はテレビで放映され、視聴者に衝撃を与えました。

塩田剛三の思想

歩く姿が武である

武道というものは、日常生活から逸脱した特別なことであってはいけません。ただ道を歩いているにしろ、そのときの心のあり方、姿勢の保ち方、機を見て敏なる感覚などが、すべて理合の表れであり、またそう努めることが修行であるわけです。

ロバート・ケネディ夫妻来日時の演武

晩年1994年

未来を照らす養神館合気道

その後も輝かしい実績を重ね、1983年には国際武道院から範士号を、1985年には合気道十段を授与。

1990年にはボクシング世界王者のマイク・タイソン氏が道場を訪れ、塩田先生の足捌きとタイミングの妙に深い感銘を受けました。

1994年7月17日、78歳で他界された塩田先生。しかし、その卓越した技と精神は、時代を超えた普遍的な価値を持ち、今なお連綿と受け継がれています。

塩田剛三の思想

合気道は和合の実践

合気道の修練を通じて、人と人との心の和が広がること、それが養神館の願いです。世界中の人たちが合気道を学び、その理合を知るならば、世界のあらゆる争い事は、解決できるのではないかと、私は夢見ているのです。

第23回総合演武大会(1978年)

養神館合気道世界大会(1990年・カナダ)

映画『合氣道』(1962年) より 基本技など

映画『合氣道』(1962年) より 多数取り演武

ライブラリー

塩田剛三先生の人生を今に伝える記録

  • 1987年5月14日 皇太子時代の現天皇陛下がご来館

  • 1965年9月18日 常陸宮両殿下がご来館

  • 昭和初期 植芝道場時代の記念写真(前列中央:植芝盛平師、右隣:塩田剛三先生)

  • 1962年2月10日 ケネディ夫妻ご来館時、塩田剛三先生がボディガードを瞬時に畳に這わせた演武

  • 1980年10月6日~19日 米国・カナダ遠征演武

  • 1965年9月29日 英国アレキサンドラ王女ご夫妻がご来館